私の素性 パート4 〜浪人生編〜
昨日書き忘れた。
パート3までは、塾の教壇に立って鳥肌がやばかったことを書きましたね。
まぁそれが1番言いたかった事なので、そこまでの素性は正直どうでも良いかもしれません。
そして、僕の人生を大きく変えたのが、現役の大学受験失敗による、浪人生活の始まりです。
今日は浪人のお話です。
私は浪人中に、毎日ブログを書いていたので知っている人は知っているかもしれません。
少しだけ有名でした。
けどYahooブログのサービス停止により、そのブログは全部消えました。
少しざんねん。
簡単に浪人生活をまとめると
ひたすら勉強
でした。
今思えば、その時も効率が悪かった、、、。
今の状態で浪人生に戻ったら、もう少し上手くやれた自信があります。
けど勉強量だけで、
努力だけで、ある程度の所まで行けるんだなってのは分かりました。
その勉強量を経験したからこそ、効率の大切さをものすごく実感出来ましたしね。
サボってても要領のいいやつが勝つんだって。
結果から言うと、旧帝大の国立大学には届きませんでしたが、その県では次にレベルの高い国立大学に何とか受かることができました。
ちなみに、その時の苦手科目は英語でした。
センターは7割ほど。国立大学の二次の英語はかなり簡単と皆んな言うんですが、私はそんな風に思わなかったです。
苦手だったのに、今ではそれを教える教師になりたいだなんて、、、。
この時の私は想像もつかなかったでしょう。
でも実は、この時は学校教師の免許を取れる大学も視野に入れていました。
親戚のおじさんが先生ということもあり、
私が教師になることを物凄く勧めてくれました。
それで、少し視野に入れていたのかもしれません。
けど結局、入ったのは工学部。
しかも、、、
我々の入学した代から、教員免許の取得カリキュラムが廃止されたらしいんです。
やっぱ少し視野に入れていただけに、
あー、取れないんだー。
くらいは思いましたけど、そこまで当時はショックでは無かったです。
今は結構ショックやけど。
とりあえずまとめると、
・浪人生活で勉強の効率の大切さをしった。
・鳥肌がたった教壇の上も1つの理由だが、おじさんの勧めで少し教師を考えるようになった。
ってな、かんじ。
でもこの頃は将来のことなんて深くは考えてなかったので、英語教師になりたいと思い始めたのは、まだ先のはなし。
次回は、そこに至った大学生活のお話をしたいと思います。
では。